文章指導の意義と方法 ~ 北陸大学 山本啓一教授に聞く
今、「ことば」(言語)と「身体」の関係に関する議論が熱い。
今年(2023年)5月に発売され、目下ベストセラーになっている新書『言語の本質――-ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)の共著者で、言語心理学(認知心理学)者の慶應義塾大学教授・今井むつみ氏によると、人間の認知に関する総合的学問である認知科学が起こった60年ほど前は、ことばと身体の関係性が扱われることはまったくなかった。
しかし、近時、言語学習における身体的基礎に関する研究が盛んになり、「抽象的な記号が身体経験に結び付いていないと、そもそも(言語の)学習ができないのではないか」という考え方が出てきているという。
また、オリンピアンの元陸上選手の為末大氏も、今井氏との対談本で、ことばと身体の深い関係性について言及している。
「ことばによって身体の動きは変わります。…ことばによりあるイメージが想起され、そのイメージによって動きが変わるのです。」
(為末大・今井むつみ『ことば、身体、学び―――「できるようになる」とはどういうことか』扶桑社新書より)
「逆に身体によってことばが変わることもあります。…選手同士の会話でも…地面を踏むという感覚に対してあらゆることばでアプローチします。結果、「踏む」周辺のことばを使う感覚が研ぎ澄まされます。」
(『同』「はじめに」より)
大学教育においても、運動部(スポーツ)の活動と学業との関連性は、これまであまり考慮されることがなかった。ただ、時間的な意味での「両立」をいかに図るかが課題として挙げられるのみだった。しかし、人の認知と身体の関係が、かつて考えられていたような「対立的」な関係ではないとするならば、ことば(学業)と身体(スポーツ)は、むしろ、お互いを必要とするような相互補完的な関係になるだろう。
そこで、運動部学生を指導する現場に取材し、大学における学業とスポーツについての知見を得ることにしたい。
学業と競技の相乗効果をもたらす教育プログラムを提供するという考えのもと、カリキュラム改革と実際のライティング指導に関わっている山本啓一教授(北陸大学・経済経営学部)に、運動部学生に対する言語力向上プログラム(「書くこと」の指導)の意義と、実際の指導におけるポイントについて伺った。
Q:そもそも、なぜ「書くこと」が重要なのか?
山本: コロナ禍を境にして、対面による口頭でのコミュニケーションだけでなく、リモートでTeamsやSlackなどのグループウェアを使った「書くこと」によるコミュニケーションが当たり前になり、書くことの重要性は、近年ますます高まっている。
最近話題のChatGPT等「生成AI」を使用するに際しても、プロンプトという指示文章の作り方が下手だと、凡庸な答えしか返ってこない。AIをうまく使いこなすためにも、問いを立てるスキルが必要で、そのスキルとは、やはり書くことだ。
ただし、私自身は、学生にとって「書くこと」はもっと広い意味で「生きる力」を身に着けるために必要だと考えている。とくに、経験を言葉にしていくことは、自己成長のために非常に大切なことだ。
Q:運動部に所属するような学生が「書くこと」を学ぶと、当然、学業成績の向上は見込めるが、そのこと以外には効用がありうるか?
山本: 「書くこと」のスタイルには2つある。1つは「知識をもとに考えたことを書く」ことだ。文章表現を通じて思考力や表現力を鍛えれば、学業成績は当然ながら向上するだろう。
もう1つは、「経験をふりかえり、次の一歩を踏み出すために書く」ことだ。こうした「経験の言語化」は、本来は運動部学生が得意とする分野だ。運動部学生の中には、大学に入学するまでに、すでに10年近く競技を続けてきた経験を持つ学生も多い。
そうした分厚い経験値を持った学生が、自己の経験を振り返り、それを言語化して見つめなおす機会があれば、自分の強みや弱みといった自己理解を深められるだけでなく、大学スポーツにどのように向き合っていくのかという将来の方向性も見えてくるだろう。
また、為末氏が指摘するように、身体経験の言語化能力は、競技力にも影響するだろう。さらには、大学4年間で競技経験を振り返る習慣をつけておくと、社会に出るときにも役立つはずだ。
Q:書くことで培われる能力があり、それは単に学業成績に関わるものだけでないということだが、そうした着想を得た経緯について、詳しく説明してほしい。
山本:私が現在の勤務校に着任して最初の年に初年次教育を改革し、基礎ゼミナールとキャリアデザインを同一クラスで連続実施する方式を導入した。
基礎ゼミでは、思考力・表現力や協働力を育成するプログラムを導入し、キャリアデザインでは、自己の経験のふりかえりを行うことにした。具体的には、一人ひとりの学生が入学までにがんばってきた経験を他のゼミ生の前で話す「10分間スピーチ」である。
すると、運動部学生は非常にポテンシャルがあると気づかされた。それまでは、運動部学生はスポーツばかりしていて、学業に真面目に取り組んでこなかった学生だ、という見方を私自身も多少はしていた。
しかし、運動部学生はむしろスポーツという長期にわたる経験を通して、人一倍考え、悩み、次の一歩を切り開いてきた学生だということに気付かされた。授業によって彼らの言語能力をより高めることができれば、正課内・課外を合わせた学習成果は非常に大きなものになるだろうと考えたのである。
そこで、2019年度に導入した新しいカリキュラムでは、「スポーツと言語技術」という、部活動に所属している学生のみを対象とした授業を開始した。この授業では、彼らの部活動での経験や、競技での経験を掘り下げ、言語化するプログラムを実施している。
具体的には、自己の目標設定や行動計画の策定、スポーツを通じて育成される「アスリートライフスキル」などの自己分析を行う。また、為末氏が述べているような、身体動作の言語化なども行なう。競技における失敗経験を掘り下げる「なぜなぜ分析」を行ったり、いわゆる「神プレイ」の数秒間について徹底的に説明させたりもする。さらには、部活と学業の相互作用・相乗効果について考えさせたりもしている。
ちなみに、この授業が、『スポーツ探究 ことば入門』*という教材を生み出すことにもつながった。
Q:運動部学生の課題は「学業との両立」だけではなく、いかにして「スポーツと学業との相乗効果」を出していくかを追求することが重要だと?
山本:運動部学生がスポーツを専門とする学部に所属すれば、学業の重要性は理解しやすいだろう。しかし、多くの大学では、運動部学生は法学部や経済学部など、スポーツとは無縁の学部に所属しているのが現実である。しかも、それは自分で選んだわけでもない。こうして多くの運動部学生は、学業の意味を競技と関連付けて意識できず、授業は「苦行の時間」などと否定的に捉えがちになる。
だからこそ、私は、スポーツを専門としない学部において、正課授業の中にスポーツと学業の相乗効果を意識させ、実際に相乗効果を出すための教育プログラムの導入がとても大事だと考える。
こうしたことは、運動部学生だけを対象とする授業を導入しなくても実現できる。スポーツ学生と一般学生が同じ授業の中でともに学び合いながら、経験の言語化能力を伸ばすプログラムは、様々な授業の中で実現可能なはずだ。
ライティング(文章表現)科目の一環として、「経験を表現する」テーマを取り入れてもよい。キャリアデザイン科目でもよいだろう。競技力には、体力や技術力だけでなく、レジリエンスやセルフマネジメントといったスキルも大きく関係する。
こういったスキルを様々な授業で高めることができれば、競技と授業の相乗効果がより期待できるだろう。
Q:言語能力が部活動と学業の両方を結びつけるポイントとのことだが、ライティングやレポートの書き方など、どのように指導するのがよいか?
山本:文章作成において問われることは、前述のように2つある。1つは「知識をもとに考える」ことで、もう1つは、「経験を言語化する」ことだ。「知識をもとに考える」レポート指導のポイントは、「書く前に行うべきこと」と「書いた後にも行うべきこと」を意識させることだ。
レポートはいきなり書こうとしても、なにも書けないのが普通だ。レポートを書くためには、語彙力や文法的知識が指摘されがちだが、実は、情報を集め、その情報を分析し、その中から課題を発見し、その上で自分なりの言いたいことや解決策を構想し、それを表現に結びつけていく、という一連のプロセスが求められる。「文章を書く」という作業の前に、段階的に踏むべきプロセスがある。それが「知識をもとに考える」という意味だ。
私がこれまで手がけてきた文章表現科目では、資料を読んで、それをグループで議論して内容を確認したり、違う資料を突き合わせてみたりしながら、ディスカッションを行なうことに重点を置いてきた。書くための材料が十分蓄積された上で、文章のアウトラインを作り、それをお互いに点検しあったりすることが、書くという行為につながるのである。
また、文章を一度書いたからといってすぐに提出させてはいけない。実際に我々も原稿を書く際には何度となく推敲するはずだ。授業でも、いったん書いた後の推敲作業に時間をかける重要性を理解させる必要がある。こうした推敲や修正のプロセスにも、「ピアレビュー」などの協同学習は有効である。
レポート作成にはこれらの一連のプロセスが不可欠であるからこそ、授業では、アクティブラーニングやグループワークが必須となる。レポート作成が苦手な学生に対しては、上述のプロセスを、宿題などにおいても仲間と一緒に取り組むように指導するとよいだろう。これは、他人のレポートをコピペすることとは全く異なる。こうして、書くことにより、「知識をもとに考える」能力(=リテラシー)が養われる。
その一方で、文章表現科目では、前述のように「経験を言語化する」スタイルの文章を書くことも重要だ。そうすることで、「経験から学び成長する」能力(=コンピテンシー)もバランスよく育成できる。
運動部学生には、彼ららしさと豊かなスポーツ経験があり、それを題材にして文章表現を行う機会があることは、彼らの自己肯定感を高めることにもつながるだろう。それは彼ら自身が、正課授業の重要性を実感し、デュアルキャリアに意義を見出していくことにつながっていくのではないだろうか。
*山本氏の授業をもとに作成した教材はこちら :『スポーツ探究 ことば入門』
構成と記事:原田広幸(KEIアドバンス コンサルタント)