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KEI Higher Education Review

「哲学する」建学の精神、今も息づく

創立者である井上円了の建学の精神を現代に引き継ぎ、最先端の科学教育、哲学・教養教育、学生スポーツと多方面において唯一無二の存在感を示す東洋大学。東京・埼玉の4つのキャンパスに、14学部、大学院15研究科、16の研究センターと附置研究所をもち、多様性と知の総合性・融合を目指す。コロナ禍の只中に学長に就任し、さまざまな実績を残してきた矢口悦子学長の類まれなリーダーシップの実像に迫ります。[前編]

東洋大学[前編]

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インタビュー中の矢口学長

【今も引き継がれる創立者の哲学】

 

Q:(30年以上前に大学受験生だったインタビュアーにとって)貴学は「印哲(インド哲学)」のイメージがあり、東洋大学の創立者である井上円了先生の考え方や、その存在感が今も引き継がれている印象です。哲学者である井上円了先生の思想は、大学のカリキュラムや、実際の教育の場にどのように反映されているのでしょうか。

 

矢口悦子学長:「印哲」と言って分かる人が、今どれくらいいるかと思いますが(笑)、その昔、東洋大学の前身である哲学館というアカデミーから今の東洋大学へと変わっていく中で、大学の創立当初から研究が行われていたのが、インド哲学と中国哲学です。現在の東洋大学では、文学部の中に哲学科、そして、インド哲学・文化と中国哲学・文学が統合された東洋思想文化学科を設置し、井上円了先生の哲学を継承しています。

 

円了先生は、仏教学を原点に置きながら、アジアの思想だけでなく西洋の哲学思想も同等に大事にしておりました。ソクラテスとカント、孔子と釈迦を四聖とし、洋の東西を問わず、哲学思想の大家に広く学んで、自ら考えることの大切さを説いたのです。現在の学生に対して、哲学書や仏典を読みなさいとは言いませんが、円了先生が目指そうとした「物事を本質に迫って深く考えること」、これこそが哲学である、と伝えています。




創設者 井上円了 仏教哲学、妖怪研究でも有名

東洋大学は、このような考え方を「諸学の基礎は哲学にあり」という言葉で表し、建学の精神としています。学生たちの間にも、建学の精神は浸透しており、この考え方をよく理解してくれていると感じています。卒業時アンケートの結果分析によれば、何に惹かれて東洋大学を選んだかという質問に対して、多くの学生(留学生も含む)が「建学の精神」を上位に挙げています。ここからも、円了先生の理念は、現在に引き継がれているということが分かります。

 

現代のような将来の予測が困難な社会では、教科書で習った世界情勢や世界地図が頻繁に変わったり、予想だにしなかったパンデミックが起こったりします。今は、何が本物で、一体どこまで正しいのだろう、というようなことをこれまで以上に掘り下げて考えなくてはいけない局面を迎えています。AIが著しく進化する中で、「人間にとって何が最も大切か」という本質的な問いにしか、立ち返る場所がなくなっており、それを、私たちは「哲学する」と呼んでいます。かつてないほどに、本学の建学の精神が大事な時代になってきているのではないでしょうか。

 

【哲学、そして総合知の教育】

 

Q:本質的な問いに迫ることを「哲学」と呼んでいるわけですね。「哲学する」ことの大切さを、学生たちにはどのように教え、伝えているのでしょうか。

 

矢口:世の中、絶対的なものや、唯一の解というものが見つかるなどということは本当に稀で、何もわからないという状況がほとんどです。そういったものを一つひとつ解明していきながらも、「今は正しいように思えるが、本当は誤りかもしれない」、と常に自己認識を問う謙虚さを持ち続けることが、最終的には、個人の強靭な思考力を作るのではないかと思っています。

 

非常に単純化された考えや、絶対的なもの、「これしかない」と思われるような考え方は、案外弱いものです。「もしかしたら違うかもしれない」「よりよい解があるかもしれない」と、常に自らを問う向き合い方をしていたら、仮に異なる考え方や価値観が現れて、強い逆風が来たとしても、ときに踏みとどまったり、柔軟に受け止めたりすることもできる。大学で何を学ぶか、どういう学び方をすべきか、という問いの答えはここにあるように思います。14学部のどの学部でも共通に、哲学的なものの見方が大事だと自信を持って伝えることが出来ているのは、そのためです。

 

Q:では、具体的にどのようなカリキュラムで、哲学的な考え方を学ぶことになるのでしょうか。

 

矢口:全学的に展開しているものは、「哲学」という科目そのものと、それから「自校教育(自学教育)」です。「哲学」と「創立者井上円了」と「本学の歴史」を学ぶ自校教育は、基盤教育の中でもさらに基盤として、全学カリキュラムの中心に位置付けています。現在、ほとんどの学部、学科でこれらの科目を単位化していますが、それが2025年度のカリキュラムからは全学部で必修となる予定です。哲学と自校教育という科目が必修なのは、本学ならではですね。

 

本学には哲学科がありますので、哲学を専門とする教員が多数おりますし、井上円了の哲学を長く研究している教員も複数の学部におりますので、より専門的に学ぶことができますが、その一方で、全学基盤の「哲学」という科目では、哲学という学問を専門的に講じるだけではなく、「哲学する」マインド、哲学的思考法を学べるのが特徴です。また、各学部の専門科目においても、哲学的な思考を取り入れることに多くの教員が努力をしています。大学の認証評価を受審した際には、委員の方にも驚かれましたが、本学では、全教職員が建学の精神を理解し、それを自分の専門性や業務に重ねて、自分の授業や学生指導を通じて語ることができるのです。

 

Q:井上円了先生は妖怪博士としても有名で、狭い意味での哲学の枠だけに収まらない方だと思います。このような、領域横断的で学際的な、あるいは多様なテーマ学習を行うカリキュラムも重視されているのでしょうか。

 

矢口:先ほどは、基盤教育の中心に哲学を置いているということをお伝えしましたが、2025年度からはそれを取り囲むようにして『総合知教育』を全学的に実践します。教員は自分の専門に依拠した科目を他のキャンパス、他の学部にも提供し、所属する学部学科を問うことなく、学生に自由に履修してもらうという仕組みです。この仕組みによって得られる知識・教養のことを、私たちの持っている専門知を総合したという意味で『総合知』と呼んでいます。似た言葉で「文理融合」があります。これは受験業界の文系・理系の融合というニュアンスで受け止められがちですが、もともと大学とは、融合的・総合的な場なのです。

 

本学は、人文、社会科学、理工系に情報系と、計14学部も持っている大学で、科目数は12,000にものぼります。

 

たとえば、文学を学んでいる学生が3年生になって、生命科学に興味を持ちもっと学びたいと思った時、自分の学びのペースに合わせて授業を履修できるような仕組みを目指しています。3万人の学生がいれば3万通りの学びが生まれます。それを本学では『3万人のLearning Journey』と呼んでいます。複数キャンパスを有するこのような大規模大学では無謀だとも言われるのですが、せっかく多くの学部を持つ東洋大学に入学したのだから、学部が違っても興味のあることを学べる方がよい。コロナ禍での経験を通して身に付けた各教員のオンライン・オンデマンド授業のスキルを活かし、この実現を目指しています。現在は、プログラム開発のできる職員の力を合わせて、学生がどのような方向で学びたいかによって、独自の時間割を組めるよう、AIを活用し履修のサポートをするプログラムを作り始めているところです。

 

【リカレントとリスキリング】

 

Q: 18歳から22歳までのコースだけでなく、いわゆるリカレントやリスキリング等、社会人や大人のためのコースへの社会的なニーズも増えてきていると思うのですが、いかがでしょうか。

 

矢口:本学では、夜間部(第二部・イブニングコース)を設置しています。夜間部は社会人に向けても門戸を開いていて、多様な年代の方が学んでいます。大学院の中には、社会人への特化が馴染むコースがあり、たとえば、経営学研究科の「中小企業診断士登録養成コース」は、まさにビジネスパーソンを対象としており、平日ではなく、ほとんどの授業を土曜日に集中して実施しています。

 

日本で唯一のPPP(パプリック・プライベート・パートナーシップ)を学ぶ経済学研究科もそうですね。オンラインで授業を開講していて、ここで学ぶ大学院生は全国にいます。今年5月には、福井県若狭町と協定を結び、若狭町役場の職員の方が、本学の大学院で研究をされています。自分の町のインフラをどうするか等々、自治体に関わる問題を自身の研究テーマとして学ぶことができるのです。

 

これらに限らず、他の大学院研究科においても社会人を受け入れるための入試を実施しています。実は「社会人に特化」したほうが適切だと思われる専攻も、他にいくつかあります。ただし、同じ学部・研究科で昼間も夜間も授業を実施するとなりますと、教員の労働時間の問題が生じますね。そのような問題をクリアできれば、まだまだ実現できる領域、求められている領域は結構あると思っています。

                                                                     

そのほかに、企業等用のパッケージとして、特定のコースを開講することもあります。企業等用のパッケージというのは、個々の企業等が有するデータを使って、受講生である社員の方々が、自社データをどう扱うかを指導するというものであり、社会的なニーズに応じて開講しているものです。




Q:先生のご専門は社会教育という部分だと思いますが、狭い意味でのリスキリングではなく、リカレントや社会教育における東洋大学の方向性や、考えはありますか。

 

矢口:「リスキリング」で提供する教育とは、会社員や公務員などである方が職場で必要となる能力の養成であり、スキルを求める側のニーズと私たち大学がマッチした場合に、指導を提供するものです。一方、「リカレント」はもっと広い概念です。

 

人生100年生きるとすると、職業上の能力を高めたいと思う時期も確かに長いですが、さらに、引退後の人生が長くなってきています。このような時代を生きるのに必要な知識や能力は、一人ひとり異なるものと思いますが、最後はやはり、誰しもが「自分の人生を納得して生きた・生きている」と感じることではないでしょうか。このようなニーズに応えられるような学びの場こそ、大学だと思います。だから、リカレントとリスキリングは、明確に分けておきたいですね。リカレントをリスキリング化しない、つまり、リカレントは広い概念として置いておいて、いろいろなニーズを持つ人が、自分にとって知識や知恵が必要だと思った時点で、戻ってきて学ぶ場としての大学を緩やかに維持したいと考えています。

 

また、リカレントは職場を引退してからの学び、リスキリングは仕事をしながらの学び、という点が両者の違いだという議論が一般化していますが、必ずしもそうではありません。学びの場と今生きている場、それらを行ったり来たりする。その仕組みをどのように作っていくかがポイントだと考えています。誰にでも、100歳まで生涯の学びが開かれているということが大切なのです。

 

本来、大学とは、様々な知のありように貢献する場であって、ビジネスの戦力として強くなるとか会社で出世するということだけを目的とする機関ではありません。大学はリカレントとリスキリング両者を維持するのが理想で、あまりどちらかに偏らないようにしたいものですね。

 

いずれ、ビジネスで成功した経営者や管理職の人であっても、「自分の人生は何だったのだろうか」、「いったい私は何をやっていたのだろうか」と思い悩むような時が必ずやってきます。そのような時にこそ、じっくりと腰を据えて、自らを捉え直しながら、人間は歴史の中で何をやってきたのか、人生の意味とは何か、といった学ぶ場が必要になります。そのような場として、「本質に迫って自ら深く考えること」を建学の精神とする、東洋大学が選ばれたらいいなと思っています。


インタビュー、構成・編集:原田広幸(KEIアドバンス コンサルタント)、阿部千尋(KEIアドバンス コンサルタント)

 

[後編]へつづく


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